どの教科でも学習者の思考過程を言語化して共有することを重視している

 国語以外の教科で、「言語力」を育成するという観点から少し離れてみる。

 それぞれの教科で、学習者の言語力を必要とする学習場面はどこか?

 答えは案外一つである。学習者が自分の考えた道筋を言語化する場面である。これは意外なことかもしれないが、どの教科においてもそうである。その方法が、「話し合い」であったり、「図式化」であったり、「報告書」や「実験記録」であったりするが、こういった学習者の内面的な思考のプロセスを、形あるものとしてまさに表現させることが、それぞれの教科において「言語力」を必要とする場面である。

 この部分が、言語力を育んでいるクラスとそうでないクラスの実際の授業での違いとしてくっきりと浮かび上がってくる。与えられた学習課題について、より多くの学習者が自分の思考過程を形あるものとして示すことができるクラスは、そこからそれぞれの思考過程を吟味しあい、より広がりと深まりのある学習が展開できる。しかし一方で、そうでないクラスは、自分たちの思考過程を形あるものとして表現する部分で不十分であったり、そこまでたどり着くのに何時間もかかり、本当に必要な学習にたどり着けないまま単元が終わってしまう事が多い。

 

学習者の思考過程を教室に顕在化する工夫

 あらためて、なぜ国語科以外の教科で「言語力」を必要とするか、という問に答えるならば、それは「学習者が考えたこと」にみんなで向き合いながら学習が進んでいくからである。ある程度、学習者個々人が自分の考えていることを表明してくれると、「話し合い」であったり「発表」であったり、もしくは教師とのやりとりであったりが深まりを見せる。
 しかし、学習者が誰一人自分の考えを教室に表明してくれない場合、いつまで経ってもあの手この手で苦しむ教師の姿しか見ることはできない。
 かつて私たち教師はこのような状態に陥る原因を、学習者が自分の考えを表明する意欲を持たないとか表明する必要性を感じないなど、彼らのモチベーションの問題に還元してきた。
 確かにそういう面もあるが、それよりも、彼らには自分の考えを表現するための能力が十分に身に付いていないのではないか、と考える事が多い。それは、自分の考えたことやそれに至った道筋をことばにして教室に表明することはそもそも非常に難しいことだと考えるからである。
 そこで、教師は学習を計画するに当たって、どのようなことを考えさせ、どのようなステップでそれを教室で共有していくのかということを見据え、学習者が自分の思考や思考の道筋を表出することをサポートする必要がある。

 

表出力のコアになる学習語彙

 

 理科の授業では、観察したり実験したりしたこと自体を記録文や観察文として表現したり、それを発表、報告する学習活動が中心になっている事が多い。そのような「書く学習」や「話し合う学習」の質が向上することが、理科学習そのものの学習成果を高めることにつながる。
 学習者の書いたものや話している内容を詳細に分析してみると、共通して語彙が少ないために自分が考えたことが十分に表現できない学習者が多い。しかもそれは、実験・観察の方法や手順、目的など、理科学習そのものに関する語彙であることが多い。観察した結果から何を見出すか、繰り返し実験するのはなぜか、そして何よりも、理科の授業の中で自分たちは一体何をしているのか、ということ自体を把握し、表現するための語彙が少ないのである。

 

表出することを意識化し、日常化する工夫

 

 自分の考えたことや考えた道筋を教室に出し合い、それに向き合って学習することは、どの教科においても学習の深まりをもたらし、学習の主体性を導き出すために重要なことである。国語科の授業では、ことばそのものを学習するため、自分の考えた結果や過程を「表出する」ことだけではなく、正確さやわかりやすさを基準に、よりよく表出できたかどうかという点にも学習が及ぶ。これを、社会科や理科などの学習場面でも考慮していくことが重要だ。理科には理科の、社会科には社会科の、正確さやわかりやすさの基準や方法があると思うからだ。
 しかしその一方で、教科を超えて繰り返し学習する事で身に付く「表出力」がある。学習者の思考を表出するための「学習活動のバリエーション」とでもいうべき「プレゼンテーション自体のバリエーションを学習を構想する際に意識することで、ただ単純に作文を書かせたリプリントを埋めさせたりするのではない方法で、学習者の思考を教室に表出することができる。

 

 

 

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