日々の授業の中で、学習者が発言する機会を捉えて、より確かな発話ができるように、教師として関わっていくためには、まず、簡単な観点で基礎的な部分を観察して捉えていく必要がある。そこで、次のような観点を設定してみた。
学習者がどのような語彙を使用するのかという点に関しては、多くの先生方は意識を向けている。そして、語彙が不足していると感じ、どのようにすれば語彙が増えるのだろうかと悩まれている。
特に、感じたり考えたりしたことを表現するための語彙よりも、何をどのようにして学んだかという学習そのものに関する語彙が不足していたり、理解が浅く適当に使っているために、自分が感じたり、考えたりした結果については発言できても、どのような活動の中で感じたのかとか、どのような道筋で考えたのかという、筋道立てた発言ができない。
そのため、発言自体が場当たり的な印象を与えることが多い。しかし、じっくり考えたり真剣に活動に取り組んだりしている多くの学習者も、学習活動そのものを詳細に表現するための語彙を持たないために、自分の学びのプロセスと学んだ結果を上手く筋道立てて発話できない。
こういう状況を目の当たりにするのは、学習内容が量的にも時間的にも規模の大きなものになってくる小学校中学年くらいからであるが、語彙、特に各教科の学習活動を捉え表現するための語彙を獲得させる工夫が求められる。
また、どの学年も共通して「意味の広い言葉を使う」学習者が気がかりである。語彙は意味の際によって体系的に習得され、状況に応じて適切に使い分けられていくことが発達の方向性として考えられている。そのため、発話において学習者が意識的に語句を使い分けているかどうかを捉え、意味の広い言葉ばかり使用する学習者には、類義語辞典を持たせるなどして、意味の細分化と使い分けを意識させるようにしたい。
個人的には、表現能力の低い学習者は「文を作ることができない」場合が多いと感じている。
教室でのやりとりや発言に際して、「主語と述語」に着目するのは、「文」を作る能力の有無を観察したいと考えているからである。
主語のない発言をする学習者は非常に多い。こういった学習者に対して、「私は」という言葉を言わせるだけではあまり意味はない。「私は」という主語が入るためには、他の学習者の考えや意見と比べて自分の意見を述べる場面が必要である。他の学習者の発言を聞く意識を育てるとともに、自分の考えと比べながら聞くように指導する必要がある。
また、述語に関しても、日々の授業の中でしっかりと観察し、細やかな指導を行っていくことで、思考活動そのものが詳細になっていく。
「〜だと思います」が多い学習者に対して「思います」以外の述語を語彙として習得させることは、おそらく説明文教材などの読解の際に、述語に着目して読みとる場面を意識的に組み入れていることが重要であるし、次に上げるような文型を指導することでも述語のバリエーションは増える。
最終的には、述語のバリエーションを獲得し、状況に合わせて選択したり組み合わせたりすることができるようになる必要がある。
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文章レベルの学習者の発話を観察しようとするならば、文章で答える必要がある発問を組織する必要がある。小学校の場合などは、一度文章を書かせる場合も多いが、可能な限り話し言葉レベルで文章にさせたい。
かりにそういった発話を行う場合には、文と文をどのようにつないでいるか、つまりどのような接続詞を使用するか、その有無に加えて、バリエーションも観察したい。日本語の接続詞は、使用すること自体で思考の起点となる。「つまり」という接続詞を起点にして、自分なりの理解を得ようとする思考が始まる。
それゆえに、学習者が使用する接続詞のバリエーションは彼らの思考の道筋のバリエーションとして把握することができる。説明文教材などのモデル学習に加え、接続詞によって学習者同士をつなぐような関わりを教師が持ったり、学習プリントなどを作成する際にも、接続詞を意識的に使わせるように工夫していく必要がある。