No.27 教育課程の自主編成
最近、学校の独自性を出すことが、各学校に求められている。地方公共団体別に義務教育の編成も変更可能となり、633制も変動する可能性が出てきている。
こうした中で、各学校が独自のカリキュラム色を社会に対して提案しなければならなくなってきていることは確かだ。
基礎学力育成を重視する学校や、超進学校としてそのカリキュラムを英数に焦点化する学校、不登校や学習障害の子どもに対する厚いケアを歌う学校まで様々な学校色が提示されていけば非常に面白い教育になるだろう。
そういう意味ではオランダの教育は参考になるだろう。
アメリカは各州によって教育内容に自由が利くが、様々な民族が社会を形成するに当たって国家基準、つまりナショナルスタンダードを希求する動きは昔から強い国だ。
日本は、学習指導要領や教科書検定など文部科学省からの規制が強く、どの県で教育を受けてもたいして代わりのない内容を学習することができる。
教育制度や教育内容をどこまで共通のものにし、どこまで開放的に自由さをもたせるのかという問題は教育の大きな方向性を左右する重要な問題だ。
日本のように国家統制の強い国は少し自由な幅を持たせる方向に動きを見せても構わないように思う。
重要なのは、方法の問題。
カリキュラムを誰が作るのか、学校の教師だけが作るカリキュラムなんて想像もつかないけれど、結構私学なんかはそういう場合もあって、やっぱり偏りを感じてしまう。
家庭・学校・地域などが連携して学校を作ることが非常に大事だと思う。オーストラリアの幼稚園みたいに地域運営型の学校があっても良い。本来市教委などが管轄するわけだから地域運営型のシステムはできて居るんだけど、カリキュラムまでは手が出ないのが現状。
これからは、もっと地域に密着した学習内容とスタンダードな学習内容とのバランスがとれたカリキュラムを作っていって欲しいと願う。
今は、ほんと地域からかけ離れたところで学校の教育内容が存在しているから、どこに生まれてどこで暮らしているか、自分の地域に対して誇りを持つとか歴史を知るとかいったことが希薄になってる。
順番が逆なんだよね。
人間のスタンダード化は人間の機械化ということだ。自分の生まれた町の歴史を知らないのに世界史はよく知っている人に違和感を感じなくなっているんだから恐ろしいことだと思う。
習熟度別授業
参考図書
「習熟度別・少人数授業」導入と運営の秘訣 小学校国語―意欲と学力を高める
土上智子 出版社: 学事出版 (2005/03)
綾部市立中筋小学校 出版社: 明治図書出版 (2005/09)
明石要一 出版社: 明治図書出版 (2003/11)