教材について

 教室開きのための教材であろう。音読のための詩教材であるのだけれども、描かれている心情は学習者にも共感できるものであるため、音読だけではなく、何か感じ取ったことや考えたことをことばにする学習を置きたい。

日々の仕切直し

 五年生くらいになると、毎日が連続した帯のように認識されてくるのだろうか。新鮮な刺激に出会うことも幼年時代から比べると大幅に減って、同じ事が繰り返される学校生活が今日もまた始まる。  要するに、一日一日をどのように考えるかという点は、その人その人の生き方に直結した重要な認識なのではあるが、そういったことを改めて考える機会が果たしてあるかといわれると、そうそうあるものではない。  新しい学年を始めるに当たって、一日というものにどのように向き合って生活うぃと何で行くのかということを考えさせる機会にしたい。

きのうと今日

 この詩の題名は既に一つのものの見方を表している。今日をどのように捉えるのかということに関する詩は、いくつもあるが、こういった逆説的な始まりを持つ詩は他にない。特に全般的な過去とのつながりの中で今日を見出そうとするのではなく、あくまで昨日との違いの中に今日を見出そうとするところあたりが小学生には適しているのだろう。  

 昨日いやなことがあっても、また新しい今日が始まるという認識は日常的に触れた経験を持っているだろうが、「今日のつめたい服を着よう」といった表現からは、新しい一日を自らが作り出そうとする意欲的な心情を読みとることができよう。「あけない夜はない」といった受動的な認識ではなく、あくまで新しい一日を自らの意志で作り出そうとする、そういう心情に触れさせてみたい。

目標の代わりに

 この詩を出発点にして、教室開きをしようとするのならば、自分がこの一年どのように生きるかという点を詩によって代弁させる。目標といった時間的に漠然としたものをことばにするよりも、この詩に示されているように、一日一日をどのように生きていくのかという心構えのようなものを代弁してくれているような詩を探して自分の詩として持たせてやりたい。  できるならば、学級の掲示物として一年間掲げてやれるような、そういう詩に出会える子どもがたくさんいるといい。