この教材のように書き手のメッセージが明確に表現されている教材を小学生では扱わない。中学生になると、論説文として教材化されたものは結構こういう形のものがある。意見文のモデルとしても使えるものだが、あえて表現学習には行かず、自分の考えを持つという学習でとめておきたい。まだこういった内容についても、調べ学習などで情報量を増やしながら、自分はこう思うとかこう考えると言ったことを明確に持たせる学習に焦点を向けておきたいからだ。
書き手のメッセージに触れさせることになれていない教師だと、最後の段落の何処か印象的な問いかけをそのまま使い、課題に据えて自由に書かせる展開を取りやすいのだが、これまでなんのために教材を読んできたのか分からない。それなら課題そのものを提示して、調べ学習か何かで展開することで事足りる。
あくまで、課題そのものではなく、もっと包括的に、これまでの文章内容を踏まえるし、筆者である中村さんの事にも触れる。そうしながら、なぜ筆者は我々にこうしたメッセージを投げかけるのかという点を明らかにしてから自分の考えを作る学習に入る。
「ひとりじゃない」という言葉を最近メディアでよく目にする。潜在的に続いてきたいじめ問題が、噴出している現状があるからだ。この文章のように冷静に科学的な見地から同様のことを突きつけられるとちょっと不思議な感じがする。
空間的にも時間的にもつながりのある自己という認識をはっきりと自覚させる学習を仕掛けるならば、自分を真ん中にしたツリーを作成させるかもしれない。そうすると確かに、様々なツリーができあがってくる。 偏っていたり、潜在化していたりするつながりを予測し問の形で学習者に投げかけてやる準備を十分に行えば、効果的な認識力形成の学習につながるだろう。