カレーライスは、一貫してぼくの視点から描かれている。このことに目を向けさせて教材を読み込ませたい。視点を意識させるために、「ぼく」の日記を場面ごとに付けさせることで自分が学習の中で至った読みや理解を言葉にさせるふり返りを継続して行ってもらったクラスでは、やはり、ブラインドサイドとして父親から見たぼくの姿と対比的に読む目を生み出しながら後半へと展開することができた。 後半では、例えば、「なぜぼくは父のためにカレーライスを作ったのか」という因果関係から読み解く発問を学習の軸としながら、その問に対して、「ぼくのことを理解してもらいたい」という系統の反応が返ってくる。この反応は、「ぼくがもう中辛のカレーライスを食べていることを知って欲しいから」という関連した反応も生みだしてくる。しかしこういった反応は教材本文を読み込んでいないために起きる反応で、その多くは視点を意識した読みができていない場合が多い。 念のため中辛関係の記述をきちんと整理すると、
父親の視点から見れば・・・ぼくは甘口のカレーを食べている
ぼくの視点から見れば・・・もうすでに中辛のカレーを食べている。
わけであって、両者の視点のズレがここで改めて顕在化する。 相互の視点のズレは、「半信半疑」や「お父さんってなんにも分かってないんだから」という表現で間接的にも表現されている。 だからあえて、ぼくがカレーを作ったのはと問うのは発問自体が浅いのかもしれない。カレーに対する認識で顕在化した父の不理解を乗り越えて、それでも作るのはなぜか、という問に発展するときに、何度もうなずくうれしそうな父にシンクロするぼくの姿を理解することができるのだ。