教材について

 二人の女の子の関係の推移を出来事と関係付けながら整理して読むラインが基本的なラインだとしても、坂本君の役割やこれからの二人の関係の有り様を推論させる学習など縦軸にも考える学習が構想できそうな教材である。小学校の教材にしては珍しく学習者に近い内容が描き出されているのも読みやすさを誘うのではないか。  

 ただし登場人物が女の子ということもあって男子児童の反応がどのようなものか予測できないでいる。男子児童はこの教材をどういうふうに読むのかという点を楽しみにしながら学習に入れそうである。

それ以上言葉にすることの意味

 二年ぶりにイギリスから帰ってきたまりちゃんに対してひろが抱く違和感は、「なんだかちがう」ということであり、本当はそれ以上言葉にして表現すべき所なのだが、それ以上言葉にすると作品が壊れてしまう。もどかしい言葉ではあるがここを学習でいじくることにはあまり賛成できない。むしろ、坂本君のいった新しいまりちゃんだとおもえばいいという言葉や、最後の明日からは前のまりちゃんと新しいまりちゃんの二人のまりちゃんがいるといった表現に目を向けさせ、ひろのもどかしい感情を捉える方が学習としては教材にあっている。  

 それ以上に最後まりちゃんがやってきて二人が対話する場面の、ちがうよわたしはわたし、ひろはひろという言葉に接近させるだろう。

前半をどう扱うか

 この教材は、まりがイギリスから帰ってきてからの話なのであり、前半部分は序に近い扱いになってしまう。それにしては文量が多いので、この場面で何か学習を構想できないものかと思う。そういう目で教材本文を見てみると、比較的まりの人物像が描き込まれていることに気が付く。イギリスに行くことをひろに言わずにいたまりやお別れ会で泣かないまりの姿から、まりという少女がどういう少女であるかということを少し言葉にしておきたい。 また、二人の別れのシーンでクロッカスの球根をやりとりするのだが、そのあたりのやりとりに目を向けさせ、二人の関係がどのようなものであるのかということについても言葉にしておく必要があるだろう。五年生くらいだと何となく理解しているという理解のあり方が多く見られるので敢えてそれを言葉にさせておく学習を置くことは重要であろう。

まりがひろを訪れたこと

 二人の間の距離がこのまま距離が開いてしまうのかと思いきや、まりはひろの家に突然訪問する。そして二人はやりとりしながらそれぞれのもどかしい気持を氷解させる。この行為の意味は追求したいところだ。推論力が足りないのか、表現力が足りないのか、四年生くらいからこういったことでちょっとしたことで人間関係が崩れてしまうことがある。敢えて向き合って話をしてみることでいくらも解消できることなのに・・・と思いながら結局ダメになってしまう。この教材は学習者の日常に近い題材なだけに、こうした氷解の仕方があることを理解させておきたい。。また坂本君のような関わり方ができるかどうかも問うてみたい。 坂本君の人物像には重点をおいて読み取らせる学習を置く。