教材について

 一応読解教材として扱う。こういう言葉に関するメタ認知を形成する教材はこれから開発する余地が十分にある。文法の学習として十分学習を構想するに耐えうる教材だけど連続する言語活動がクイズ大会では少し物足りない。日常レベルのオノマトペと表現されたオノマトペは意味が異なるからだ。どちらに焦点を合わせて学習を構想するかが鍵になる単元だと思う。

日常生活の中のオノマトペと文学教材のオノマトペ

 日常レベルで使用されるオノマトペは共通理解を希求するので比較的バリエーションがなく収斂されていく傾向が強い。つまり雷はゴロゴロなのであってそれで十分事足りる。陽水の歌なんかで見られる雷のオノマトペとは随分違う。文学教材とはいっても特に詩人の用いるオノマトペは我々の想像を超えたところにあるから素晴らしいのだと思う。  この教材にも夕日の様子をぎんぎんぎらぎらと表現している例があるが、こんな表現は我々にはできない。こういった詩人が見せる独特のオノマトペ表現に最も近いと感じるのが二年生なんかに詩を書かせたときに彼らがみずみずしい感覚で用いる個人的なオノマトペだ。クイズ大会にしてしまうと自然とオノマトペは収斂する傾向が生まれせっかくの自由な表現性が萎えてしまうことになるから言語活動は自由な創作詩にする。  

オノマトペの形式的理解

 日常レベルでのオノマトペの学習に焦点を絞るのならば徹底的に形式的な学習を構想する。クイズ大会もこういう学習なら使ってみるだろう。しかし、教材文にもあるようにゴロゴロとコロコロが転がる物の重さの違いを表現し分けていることに気が付くような学習者に育つことを願って、ひたすら相対的な意味の違いに目を向けさせる学習を展開するだろう。  そうした言語感覚をするどくした上でやはり表現学習に向かわせたいと思う。オノマトペは調べ学習や経験から導くのではなくて直接、音や様子に向き合わせることで表現させたい。

五感を使う学習

 聞く力の育成などはこういった教材を使って行う方が自然だと思う。耳でしっかり音を聞かせて聞いたままをオノマトペにして自由に表現させると意外に多様な表現が生まれてくるのでそれを交流させると面白い学習が展開できる。これと同様に触覚や嗅覚など普段認識に利用しない感覚を十分に使わせて一つの物を多角的に認識させ、それぞれをオノマトペにして表現した上で私は何でしょうクイズに展開すると面白い学習になる。