教材について
説明文は元々何かを説明するための文章だから、こういった絵の描き方を説明するのでも内容的にはいっこうに構わないと思う。この教材は非連続テキストと連続テキストの関係に目を向ける最初の教材として位置付いているのだろうと推測する。ムナーリさんが誰なのかということの説明のないままで文章が始まって最後まで説明がないのがやや気にかかるのだが、文章の内容は描き方から木の見方にまで及んでいるので、観察文や絵日記などの指導とも関連づけられる教材だと思う。
説明文は元々何かを説明するための文章だから、こういった絵の描き方を説明するのでも内容的にはいっこうに構わないと思う。この教材は非連続テキストと連続テキストの関係に目を向ける最初の教材として位置付いているのだろうと推測する。ムナーリさんが誰なのかということの説明のないままで文章が始まって最後まで説明がないのがやや気にかかるのだが、文章の内容は描き方から木の見方にまで及んでいるので、観察文や絵日記などの指導とも関連づけられる教材だと思う。
前半と後半は対比構造になっていて、想像して木を書く場合のような単純な形状は実際にはないということをしきりに指摘している。これが、よく見て描くということなのだろうが、なにやら否定的な感じを受ける。詳細な観察眼を形成するのならば、よく見ると何か新しい発見ができたというような前向きは文章の方がよいように思う。基本と応用のような関係として捉えさせるのがよいのか、それとも文章の流れに沿って、実際の木の多様性を発見させるのがよいのか悩むところだ。
ここで問題なのは、ムナーリさんの木の描き方は実は冒頭に記されているように、木をよく見ていた結果なのだ。そう考えると、前半部分の形式的な描き方は、たくさんの木を見た結果、帰納的に導き出された絵の描き方なのであって、それほど否定的に扱われているわけでもない。 だから章題にも示したように前半と後半は純粋に対比的に扱わない方がよく、想像して描く場合と観察して描く場合くらいの場合分けでとめておく。
この単元では、言語活動として絵入りの説明書を作成することが挙げられているが、この活動をより質の高いものにするためには、学習者にものの状態を表現するための語彙を持たせてやらなければならない。この教材文だけだとこういった語彙が希薄なので、取り立てて様々なものの状態を表す表現活動から語彙指導へと展開する学習を置き、学習者の語彙量と意識を高めて置いてから言語活動にはいる。
もう一つ準備しておきたいのが、順序を説明する方法である。できれば接続詞を使った文章にしたいのであるが二年生だから学習者の状況を見て入れるかどうか決める。もし入れない場合は教科書にも示されているように①、②といった序数のマークを使わせて、一連の動作を順序に区切って説明する学習にする。この場合、プリント学習などで導きながら口頭で伝え合う学習をまとめに置き、口頭で説明する際には①、②といわせる不自然さを解消する必要性を感じさせて、接続詞の指導にはいるだろう。