教材について

 ローベルの絵本シリーズの中の一部を教材化したものである。出来事の起こり方や時間軸のとりかた、がま君とかえる君のやりとりなど二年生が読み解くには適当な教材だとおもう。  シリーズの他の作品も短くて、副教材として使いやすいので、そういった複数の教材との関係から学習に広がりが生み出せるだろう。  また絵本ということもあり、文章と絵の関係などに目を向けさせるとまだ本を読むのが苦手な子にもステッピングボードとして学習させたい。

場面に対する意識の形成

  絵本のページと対応した文章になるため、場面を捉えやすい。場面はそもそも、時間や場所など背景の変化などを読み取らせたり、場面間での出来事の推移を読み取らせる場合に学習者に意識させることが多い。前教材のスイミーでも場面は物語の展開を捉えるために必要な意識であるから、学習していると思うが、お手紙の場面は同一時間で複数の場面が配置されているところに特徴がある。  

 教材の理解のポイントとしてもこの点は大切なので、紙芝居か何かに加工させる学習を咬ませるかもしれない。そうすると、カタツムリが手紙をはこぶ場面とかえる君とがま君が手紙を待つ場面が同じ時間上で展開されていることを理解させることができる。

待つことの意味

 この話は大人には少し腑に落ちない所がある。それはかえる君が自分で出した手紙をがま君と待つわけだが、一緒に待っている間に、自分が出したことも手紙の中味もがま君に教えてしまう、それなのに二人は手紙が来るのを楽しみに待っているという点である。  

 学習者もこの点をおかしいと思うのだろうかといくつかの授業を拝見しているときに気にしていたのだが、意外にそうでもないのに驚いた。何が起こるか分かっているのにそれをわくわくしながら待つという感覚は大人にはなじみにくい感覚だが、子どもにはそういうことがあるのだろうと思ったりする。  

 この点を見落とさずに、最後の場面を読み解きたい。「二人ともとても幸せな気持で」という表現も上に記したことを前提にして心情を推論するべきだと思うし、がま君のよろこびも単に誰からももらえないと思っていた手紙をもらえたよろこびではなく明らかにかえる君の心配りに対するよろこびも強い要素としてあることを意識させたい。

シリーズで読ませる

 児童文学の中には名シリーズなるものがいくつかある。エルマーの冒険や赤毛のアン等もそうだ。こういったシリーズものを読むことを読書生活の中に位置づけていくことで読書はさらにおもしろさを増していく。  

 この教材はそういった学習を構想するには非常に適した教材だと言える。各シリーズが読みやすく比較的短い。さらにこのお手紙などでは、「なくしたボタン」でがま君が探してきたボタンをしっかりと服に付けたかえる君が描かれている。このシリーズは時系列のつながりが薄くそれぞれが単独の話のように思えたりするが、密かにつながりのあるところも発見できたりするおもしろさはある。  

 班やペアなどで自分の好きな話を他の人に紹介しあうことで、シリーズ全体をクラス全員で読み切る学習も面白い。