教材について

 この教材も定番教材だけに多くの授業実践が積み重ねられている。あらためてここに記す必要もないのだが、標準的な授業を考える際の観点をいくつか挙げておくこととする。

読むこととイメージ化の問題

  言葉や表現に触れてイメージを広げる事ができるかどうか、という点は小学生の読解力を捉える観点としては有効である。言葉からイメージを広げる学習は潜在的に多く行われている。ペープサートやげきなど言語活動を学習展開に織り交ぜる目的もここにあるのだが、どうしても活動が目的になってしまう授業も多い。  

 まあそれはさておいても、この教材はレオ=レオニの絵本がもとになっているだけあって、視覚的な表現が多い。海の中の様子などは、セロファンなどを張り付けて再現したり、絵を描かせたりすることでイメージ化を促進してきた。しかしあくまで読む力としてことばに目を向けてそこからイメージを広げる学習を行うならば、自由な創作を行わせるのではなく、言葉から広がるイメージがどのようなものであるかという点を厳密に押さえておきたい。  

 比喩表現などに目を向けてイメージを広げていくこともできるし、挿し絵を手がかりにイメージをより実感の湧くものへと高めていくこともできる。ペープサートなども、クラス全員で赤い魚を作らせて実際に泳がせてみると、みんなで動きを合わせて魚を作ることがいかに難しいかが実感できる。  

 いうまでもなく、イメージ化は、言葉に目を向けた推論であり、そういう意味では視覚的なものだけがイメージではない。例えば、「うんと考えた」というスイミーの行為をどのようにイメージ化するかという問題は、「うんと」を時間の長さとしてイメージを広げる子もいれば、どれだけ頭をひねったかという質の問題としてイメージを広げる子もいる。こうした学習者の多様な反応も、言葉に向き合ってイメージを広げたり深めたりする活動であると捉えると交通整理が可能となる。

視点の問題

 いつも苦労するのがまぐろの形象をどのように読み取らせるかというところである。言葉通りに行くと、すごいはやさでミサイルのようにつっこんできて仲間をみんな食べてしまう所を読み取らせるのだが、この場面は視点が交錯しているので困る。語り手の視点とスイミーの視点がごちゃごちゃしている。挿し絵は語り手の視点から見た視点で描かれているので、マグロの動きは今ひとつ捉えにくく、仲間が食べられたという事実しか見えてこない。だから「ミサイルみたいにつっこんできた」という比喩表現がなかなか読み取らせられない。  

 この表現はスイミーから見たマグロの姿で、もしかすると大きなマグロの口しか見えていないかもしれないと思ったりもする。要は、マグロの速さ。大きさに加えてこれが本の一瞬の出来事であったということまで理解させようとするとどうしても場面をスイミーの視点で再構成し直す学習がいる。スイミーから見た場面を絵に描かせてみてもいい。

作品の主題とスイミーの人物像

 一昔前の実践ならば、主題読みを最後に持ってきて、魚を追いだしたことの意味を仲間の素晴らしさや協力の尊さなどに持っていくラインが構想されるのだろうが、現在は最後に言語活動、特に表原型の活動が盛り込まれるので、作品世界を表現してみて考えたり感じたりする事にターゲットを絞る。そうすると、魚になることの難しさはさっきも述べたよう二度の学習者も感じることである。スイミー役の学習者が挫折してしまう言語活動は幾度となく見たことがある。そのくらいスイミーのリーダーシップと思考力は優れたものであり、「うんと考えた」あたりの読解から導き出される事以上のものがある。実際に演じさせてみてそれが実感できるのだが、その点に関してはあまり本文には書かれていないので、上手く推論させて導いていくしかない。  

 しかしあえて後半の読解の中でそうしたことを理解させようと思えば、時間の概念を取り入れた読みを行わせる方法がある。「うんと考えた」あたりから時間の流れを意識させ、どのくらい練習したか、魚になるのにどのくらいかかったかという点を押さえた上で、あさ、ひる、よる(ないけど)いつも自由に泳ぐこができるようになったという点も時間を意識させたままで読み終えてみる。