綿毛を飛ばすメカニズムは、一度倒れていたくきがもう一度起きあがることにある。結局メカニズムは目的とメカニズムの関係で理解するので、結びつき方としては逆になるのだが、綿毛をとばすためにもう一度くきが立ち上がるという関係で押さえおきたい。この関係を理解する機転となる問が「なぜこんなことをするのでしょうか」という表現であるから、こういった発問を仕掛けていくこともできる。
また、仲間を増やすためのメカニズムは「あちらこちらにたねをちらす」ことなのだが、「綿毛を遠くまで飛ばす」という表現との関係を読み取らせたい。そうすると重要になる表現は「とおくまで」という部分になる。単に綿毛をとばすだけなら実は茎を伸ばす必要はあまりない。この「とおくまで」という表現があるので「あちらこちら」という表現が出てきている。この二つの表現の結びつきは目を向けさせたいポイントだ。
ちえが「知恵」であることが理解できない学習者に抽象的な概念はどうなのかと疑問を抱いた時期もあったが、学習者は以外に生活の中で「ちえ」に触れているのでいけなくはないと思い直している。 抽象的な概念を具体的な説明を受けて理解していくことは、国語科に限らず全ての教科で必要とされる理解の方法である。国語科ではそれを特に取り立てて学習できるのでこの学習はしっかりここで行っておきたい。 まあ結局は具体と抽象の行き来をするということなのだが、「たんぽぽのちえ」を短く説明させるまとめ方から、自分で調べ学習をして「○○のちえ」という説明をさせる発展学習が効果的だろう。表現学習に流れるのならば、観察から変化を記述させる方が面白いと思うのだが・・・。