「音読劇をしよう」で単元を貫くならば

 小学校1年生の子どもに何時間もの間、読み取りとは別の学習課題を意識させることは難しい。音読劇をするためにお話を読むというレトリックも教師にはよくわかるが一年生のこどもには理解が難しい。それでも、意識を持たせて、残していくことで、毎時間読み取ったことが、最後の音読劇に生かされていく工夫はできる。
 学習履歴を掲示しながら進むことで、これまでの学習にいつでも立ち戻れる環境を整えてやる。音読劇の台本として、本文のコピーやプリントなどを小冊子の形にして持たせてやる。
 ただ、作品全体を通したストーリーの理解や人物の理解などが反映された音読劇と言うよりは、それぞれの時間に読み取った内容を生かして場面ごとに音読の工夫を考えてきた結果が生きる音読劇になる。

たぬきの寂しさへの接近

 「なぜいたずらをするのだろうか」という学習課題でたぬきの置かれている境遇に思いをめぐらさせ、一人ぼっちであるというところからたぬきの寂しさへと導く展開を取る人とそうでない人とがいる。確かに冒頭の設定の中で、形式的ではあるが「たぬきはまいばんやってきていたずらをする」と言う記述だけでは話をふくらませすぎている所も多い。
 少し読み進むと、たぬきはこだぬきで、しかも愛嬌があるかわいらしいたぬきであることが学習者にもわかってくる。このタイミングで、「たぬきはなぜ毎晩やってくるのだろうか」と聞くと、「一人ぼっちで寂しいからではないか」という反応が生み出される可能性は高い。実は明確に関係づいているわけではないが、たぬきの様々な行為やひとなつっこさなどは、たぬきのこうした心情を読み取らせておくほうが理解しやすい。

変化なのか、混在するのか

 たぬきはなぜ一人で糸を紡いだのかという点に関しては、「最初は面白半分でやっていたのだが、女将さんへの恩返しで頑張ったのだ」のだという反応はなかなか出てこない。特に幼稚園期に読む絵本が洋風化してきていることもあり、「恩返し」の話型に慣れていない子が多い。「助けてもらったからありがとうという気持ちで」というラインよりも、「自分でもやってみたくてしょうがなかったので、家の人が里に降りたのを見計らって」というラインのほうが強いクラスを見ることが多くなった。
 これはどちらもある心情なのだと考えるのが妥当ではないか。小学校の物語文教材で養いたい心情把握の能力は3つある。①人物の言動から心情を読み取る力、②出来事や事件の推移に関係付けて心情の変化を読み取る、③様々な因果関係を意識して心情の入り混じった状態を読み取るであるが、この場合は③つ目に当たるのではないか。

並行読書はするべき

本教材は先の項目でも指摘しているが、話型としては現在の子どもには馴染みが浅いものである。ゆえに昔話系の話を並行読書として用意して読ませる学習を置くことで理解が促進される。