教材について

 モンゴルの文化論。国際化の視点から文化を相対化するにはよい機会だ。日本文化と相対化する文化は主に欧米の文化が多いのだが、アジアのしかも日本に非常に近いと言われているモンゴルの文化との相対化の視点を得る機会は今後学習者にとってもそうはないだろう。

 だからエッセイに近い文体だし、話題だけいただいてぐっと言語活動を仕掛けてみたくなる教材だ。

情報として扱う

 この教材を読解する学習は、確かに考えられる。筆者が暗に自分の経験として出してきている記述を日本文化とし、モンゴルでの経験を述べている部分をモンゴルの文化として、両国の文化の相対化を整理して読み取る学習だ。しかし文章量が多いのでやや飽きてしまう可能性が高い。  中学校三年生だし、文章の中にもアメリカのサンキューについて出てくるので、もう一つの国の「謝意」についての記述を調べ学習で持たせておいて図式化した相対化から三竦みの相対化を行わせ、発表で報告し合うような言語活動を構想する。  これだけ長い文章だから、一応全体を読ませた上で、自分が必要だと思う情報を切り取り、他の情報と関係づけて自分の考えを持つ学習にしたい。

文化と生活

 この教材の学習のポイントとして考えられるのは、モンゴルの「ありがとう」と言わない習慣が、彼らの集団生活と深く結びついているという点にある。筆者も指摘しているので、それを丁寧に押さえる学習を仕掛けた後で、それでは日本のありがとうという文化はどのような日本人の生活と結びついているのかを調べさせ。文章にまとめさせる活動を考える。
 この時に注意したいのが、学習者にきちんと調べさせると言うことである。あくまでこの教材を情報として位置づけ情報操作力を身につけることをねらうのであれば、学習者が現在知っていることを無理矢理ひねり出させるのではなく、必要に応じて情報を集め、手持ちの情報と結びつけながら文章を書かせる学習にしなければならない。

文化論として

 学習者の後々のことを考えると、文化論を読み解く技術や興味を抱くような態度を身につけさせておきたいなあと思う。それほど高校入試や大学入試には文化論がよく出る。というか、よく出します。やっぱりそれは、物事の特徴を相対化してきちんと捉える能力を見たいからで、分析欲の核心に位置付くから。
 そうすると、やはり、文化論は片方対比の場合が多く、日本文化の特徴を浮き彫りにするためにという目的が潜在的に存在する場合が多い。そこは読解の観点としてきちんと位置づけて学ばせておきたい。この文章もモンゴルのことばかり述べているように見えるけれどもきちんと潜在的には日本文化を焦点化しようとしているのだから。
 後、もう一つは結論への持って行き方は、結構他国から学ぶという文化の融合路線にあるのであって、どちらが優れているとか優れていないかという議論にはならないという点である。この教材でも確かにモンゴルの習慣には感動するところがあるが、先にも述べたようにその国の文化は、その国の社会や生活と深く結びついているのだから、それを比べて優劣を論じることは文化論としてタブーであることは先生自身も意識しておいて欲しい。例えどのような国でも文化レベルでの批判はタブーだと思う。