教材について

 ムーミンシリーズでよく知られる作者の作品だが、ソフィアの心理描写が間接的でよく描き込まれているため、心情理解の読解学習を行うには学習ポイントの多い教材である。  また、少女の視点から描かれた作品であることも特徴的で、女性の繊細な感情の機微がよく表現されているように思う。
 学習材として考えると本格的な小説というわけではなく何処かしら物語文の要素を残している作品だが、主題を見つけだしたり、人物関係を見出したりするにハヤや難しさを持っているので中学校三年生の教材としては読み応えのある教材である。

ソフィアの心理を読む

 私は男なので、こういった少女の心理はややわかりにくく感情的な感じがするが、逆に男性であるが故にこういった女性心理を客観的に捉えていくこともできる。男子と女子では全く読みの異なる教材だということを念頭に置きながら、そういう二つの異なる読みをどうやってインテグレートしていこうかなあと学習を構想する。
 ソフィアとマッペの関係は、母親と息子の関係に似ている。猫としての本性を発揮し、自立していくマッペに困惑する姿などは母親の心情に似ている。猫の成長の方がソフィアの心の成長よりはるかに早いのだけれども、人間と動物であるが故に、分かり合うにも間接的な祖母の関与が必要となるのだ。猫を交換するなどという奇妙な出来事を通してしか気が付かないのだから、よほどにソフィアは純粋な心の少女なのだろう。現代の中学生ならやや違和感を感じるかもしれない。
 いずれにせよ、ソフィアを中心としてマッペとの関係が変化していく様がストーリーの展開の軸になっているのは確かなことだから、このラインは深く読み込んでいく支えとしてきちんと整理しておきたい。そうした整理する読みを経た上で、猫交換事件を通して変化するソフィアの心理を捉えさせたい。

成長する猫の姿を通して

 先にも述べたが、中学校三年生にもなってくるとジェンダーが教室の読みに影響を及ぼすことがある。こういった性差を否定的に捉えるのではなく、対話の学習を成立させるいい機会としてみるべきだ。ちょっとした恋愛沙汰なども起きてくる時期だが、クラス担任なんかしていると、男女の諍いがもつれてひどく対立的になってしまうときもある。こういった作品を通して男女の捉え方の違いに目を向け、相互理解を図れるといいなあと思う。
 そういう意味では、マッペが小鳥を捕らえてくることにこういう嫌悪感の示し方をするのは少女特有なのかもしれない。命が可哀想だとか、残酷だという前に、小鳥の血だまりが生理的に嫌だ。自分の飼っている猫の世話を放棄してしまう所なんかは。実際に猫を飼っている人には非常に違和感を覚えるかもしれないが、そこがまたソフィアのソフィアらしさなのであって、そのあたりに焦点を当てると男女間の際だけではない多様なバリエーションが生み出されてくるだろう。
 つまり、大きな見通しとしては男女間の交流を図る所にターゲットを置きながらも目の付け所の違いから生み出されてくるもう少しミクロな多様性を生かして、対話学習を仕掛ける。読みの交流ということなので、自分の読みをしっかりと持てるような問いかけを用意することと、それぞれの考えをしっかりと文章で表現させてから交流に臨めば面白い読みの交流が行えると思う。

なぜソフィアはマッペがよかったのか?

 話の展開上、最後にマッペを取り戻すソフィアの心情は読み取らせておきたい。しかし実際にはこれがなかなか難しい問になることが多い。キーワードは「愛」なのだが気が付かない生徒も多い。ソフィアはマッペに対する自分の思いを「愛」だと冒頭から述べてくる。「愛は難しい」といい、「愛していない」といい、最後には「愛している」という。ソフィアの心の成長は、愛に対する理解の深まりでもある。マッペに対して自分の思いを押しつけるのではなく、受容的理解をもって接することが本当に愛することなのだと気が付く。
 これがおそらくこの作品の本質的なメッセージなのだろうと考えるのだが、これはいくつかの恋愛経験を積んだものにしか分からないことなのかもしれない。故にこの教材は大人向けに書かれたものだなあと思ったりする。問題は中学三年生にどれほど共感させられるかということなのだが、いささか難しい。因果関係やキーワードの推移から理詰めで説明することはできても、共感させることは難しい。敢えて自分の経験などと照らし合わせて行くのならば、並行関係としての恋愛関係ではなく、垂直関係としての親子関係にでも持っていくだろう。その場合、学習者はマッペノ立場からソフィアを見ることになるので視点の多角化が進み読みが自動的に深まる可能性もある。