教材について

 三年生の小説教材として、適度に抽象的な概念に対して思いを巡らせる教材がほしい。そう考えたとき、菊池寛の「形」は中学校三年生の外見と内実の狭間に悩む年代には適切なテーマを持った教材であると考える。文体は、漢字が多用されていることもあり、引き締まった感じを与えてくれる。音読教材としても良い教材だと思う。また、背景となる時代は戦国時代であり、冒頭に出てくる筒井順慶や松永久秀など奥深いストーリーを持った人物であるだけに、興味を抱いている生徒も少なくない。適度な短編だけにじっくりと表現にこだわりながら読みを深め、「形」と言う抽象的なテーマについてじっくりと考えさせたい。

ビハインドサイドからのアプローチ

 小説に登場する複数の人物の視点は、全て均等に描かれているわけではない。それぞれの場面にそれぞれの登場人物の視点からの描写があり、常に描かれていない視点が存在している。たとえば、中村新兵衛からの視点は比較的読みとりやすいのだが、新兵衛の鎧甲を借りた若武者の心情は読みとりにくい。「形」を失った新兵衛と「形」を得た若武者とは相対する存在であり、書かれ方に偏りはあるにせよ、両者の視点から事件の経緯やその折々での心情を整理させたい。そうすることによって、多角的に物語を再生することになり、新兵衛をはじめとする登場人物の心情を多角的に読みとることにつながる。また、最後の場面で、若侍の視点から見た新兵衛の最後はどのように捉えられていたのかという点は全くブラインドサイドになっているが、この物語の続きなどを考えさせる場合などは押さえておきたい視点である。

時間への意識

 小説には、時間的な跳躍が潜んでいる。短い表現の中にも、驚くほど長い時間の経緯や出来事の積み重ねが潜んでいたりするもので、そういったことに目を向けさせることで、純粋に教材の筋に向き合わせることから、登場人物の成長や変化などに意識が向き、登場人物画より人間としてリアルな姿に浮かび上がってくることがある。この教材もそうした側面が強い。
 新兵衛は最初から戦場の華であったわけではなく、「槍中村」と呼ばれていたわけではない。何十年もの戦を経る中でそうした呼び名で呼ばれるほどの強い武者に成長してきたのである。その時間的な流れの中で、若侍と同じ時期は必ず存在していただろうし、その姿と自分のまだ若く未熟な頃の姿を新兵衛自身が重ねていたかもしれない。
 それと同じように、若侍も「槍中村」と呼ばれるようになっていく成長の時間を潜在的には有している。ただ両者の違いは、現実に歩んできた道とこれからの可能性として歩むかもしれない道である。時間への意識がないままに「形」を考えることは非常に形式的な思考操作を招くことになる。実力のある者とそうでない者との違いや、「形」と「実力」など対立的に考えさせたい抽象的な概念は数多く見られるが、それらは時の流れの中で成長もするし、達成もされるし、衰退もすることを意識する必要がある。