教材について
冒頭の祇園精舎は暗唱させるとしても、敦盛の最期はきちんと読解させたい。なかなか全文の理解をふまえさせられないのだが出来れば、資料やプリントなどを効果的に使って平家物語自体の理解をある程度持たせた上で敦盛の最期に向き合わせたい。
また、当時の衣装や文化なども歴史的知識を持った学習者には与えてやれば理解してもらえそうに思うが、こういった華やかさは、武将達の生き死ににまつわる暗さや残酷さと対置されるものなのでそういった観点からもう一度華やかさについても考えさせてみたい。
冒頭の祇園精舎は暗唱させるとしても、敦盛の最期はきちんと読解させたい。なかなか全文の理解をふまえさせられないのだが出来れば、資料やプリントなどを効果的に使って平家物語自体の理解をある程度持たせた上で敦盛の最期に向き合わせたい。
また、当時の衣装や文化なども歴史的知識を持った学習者には与えてやれば理解してもらえそうに思うが、こういった華やかさは、武将達の生き死ににまつわる暗さや残酷さと対置されるものなのでそういった観点からもう一度華やかさについても考えさせてみたい。
平家物語を扱う場合、この作品の成立に大きく琵琶法師が関わっていることや、あくまで語りの文学であり、底本を初め文字資料は多くの異本が存在することも併せて押さえておきたい。また、琵琶法師に伝承される順序についても、多くの武将達のエピソードを習得し終えた最期にこの冒頭が与えられるということから、作品を一貫して流れるものがこの冒頭部分に凝縮されているということを理解させたい。
漢文調の文体で貫かれる冒頭部分はそういう意味では他の章段とは少し異なる文体で書かれている。私などは諸行無常という言葉の奥深さに迫らせるために、無常観のある章段をいくつか与え大きな単元として学習を組織したりもしたが結局学習者自身の日常経験が乏しいので十全な理解に至らずに終わってしまう実践はいくつも行った記憶があるので、あえて無常観にこだわる学習がこの段階で必要かどうか悩むところである。
しかし祇園精舎にしても盛者必衰にしても言葉の意味くらいはきちんと押さえて音読させなければならない。音読するにはよいリズムだし、暗唱はさせたい。
平家物語の章段はどれも中学二年生が読みには長く、人物構成などは比較的分かりやすいにしても配置の説明など特にイメージかが必要と思われる記述が難しい。そこで、話を理解させる手助けとしてなるべく視覚的な資料が必要となる。これまでは教科書にも載せてあるように、武将達の衣装や武具などを視覚的資料として提示してきた。それはそれで、平家が武将達の出で立ちを詳述しているので理解の助けとなった。 しかし問題なのは敦盛だけではなく、扇の的などでもいえることだが人物の立ち位置や距離に関する視覚的理解が乏しいことで作品の理解が低下してしまうことにある。そこで特に最近研究が進んできている絵巻物を何とかして手に入れ、視覚的な資料として学習者の理解を促進する事を考えたい。色彩や出で立ち以上に人物配置にかんする視覚的理解が得られることは作品理解に役立つ。
平家はなぜ琵琶法師によって語り継がれてきたのか?この問いは、一体この話を誰が琵琶法師と向き合って聞いていたのかという点に関する問いでもある。関西地方ではその土地土地にゆかりの人物が焦点化されて語られる傾向が強く、それ故に平家には多くの異本が存在しているのである。
つまり、平家を語り聞くことは、不幸な死に方をした平家一族をはじめとする多くの武将達を偲び追悼する行為であった。そういう意味で語り継がれてきた物語であることが、この時期以降に成立する様々な軍記物語とは質を異にしている。この点に関しては、敦盛も同様で、熊谷直実とのやりとりなどから、直実に焦点が当たっているように見えてやはりこの章段は敦盛の話のなのであろう。そう考えると、若武者の美しさや潔さを、浮き立たせるための対象人物として直実の存在があるわけで、そのあたりに意識を持たせていくことが普通の物語ではない扱い方をする一歩であると考える。
また、直実の問いかけに対して名を名乗らない敦盛の行為を横柄で高慢だと読む学習者も出てくるときがあるが、そうしたエピソードに対して時代背景を与えていく必要はある。現代小説風に読み解いてしまうと、どうしても直実の心情や精神性に焦点が移ってしまうが、そうではなくあくまで敦盛の話として読ませていく工夫がほしい。