この詩には、時間の流れがない、というか時間が止まる感覚が表現されている。それは最後の「もしも百年が・・・」という表現にも現れているが、静かに雨の中にたたずむ馬たちの様子から時間の流れを感じさせない静寂を感じることは少々という雨の振り方よりは理解させやすい因果関係だと思う。
視点は様々に変わるのだが、雨は蕭々と降り、馬は草をはむ。その動と静の対比が時間の流れを見失わせている。 そういう意味でいえば音もない。静寂という言葉を実景にして表現するとこういう風景になるのかと思ったりする。
詩そのものの表現に向き合わせると、非常に単純なリフレインが目に付く。中学校二年生くらいならばその効果まで理解できるが、そうしたことだけに終わりたくはない。もっと奥深い詩人の認識にまで至りたい。しかしいかんせん難しすぎる。時間や音のない世界として表現されている世界を位置づけはするが、それ以上の理解にはなかなか到達しない。
最初にも述べたが、三好のこの詩を解釈している文章に触れさせるしかないかも知れない。それと同時に三好の他の作品に触れさせる機会を設けながら、詩人三好達治自身の生涯などにも触れていく。教材の外側から攻めるようになるのだが、この教材の場合ある程度は仕方がないと思う。
阿蘇の景色を実際に見たことがある学校の生徒ならまだ何とか経験から導いていけそうな気はするが、「中岳の頂から上がる噴煙」などのイメージも本当のことをいうと持たせにくいのではないか。