教材について

 定番教材なので数多くの実践が積み重ねられている。私自身も中学校だけでなく高等学校でもこの教材を授業した経験があるが、何度やっても違う切り口があって面白い教材だ。文章が少し長いので、丁寧に読み込む授業は時間的に無理だとしても、学習者が考えるような課題を設定し課題解決型の授業を構想することが多い。設定した課題次第で読みとる場所やポイントも異なってくる。
 また話の筋や表現は比較的平易なので、軽く全体を読ませた後に活動を入れる展開もよく見かける。その後のメロスや王を描かせたりする事も考えられる。

サイドストーリーで視点を意識させる

 王にしろメロスにしろ複数の人物が出てくるので人物像は自然と多角的に描かれている。他者から見たり客観的に語り手から見たメロスや王の姿と王やメロスの内面世界とのずれはこの教材を理解していく上で意識しておく必要があるだろう。メロスの正義感や真摯さがどこか可笑しく見えるのも語り手からの視点で描かれた姿とのずれである。メロス自身は至ってまじめである。王も王で同じ事がいえ、王の孤独は王にしか分からない。
 多様な登場人物と語り手がそれぞれの目を通して人物を眺めているので、人物像が多角化する。その多角化された人物像にどのように向き合い理解するのか、これが中学校二年生の文学教材を読む力としては育成しておきたいポイントだ。だから、個々の記述を丁寧に読み込みながら多角的に描き出されている人物像を捉える学習は必要となる。それはそうなのだが先にも述べたように、課題解決型の学習を全体的にしくと、そういった学習場面を作り出しにくいのも現実だ。
 そこで、最近踊る大捜査線などからいくつかのサイドストーリーが生まれたことなどをヒントにして、セリヌンティウスの話や王の話を作成させてみる学習を構想する。これによって、作品を読むだけではなかなか明確になりにくいセリヌンティウスから見たメロスの姿や王の姿が推論を伴って明らかになる。

メロスの人物像

 メロスの人物像もかつてのように勇敢で律儀な男としてみない学習者が増えてきた。こういうストーリーや語り手などの視点を意識して理解する能力が、TVドラマなどをたくさん見ているので潜在的に身に付いているように思う。語り手のメロス評はシニカルだ。かなり誇大な評価を下す言葉を使っている。この誇張された表現が太宰の薄ら笑いを想起させる。
 かつて「歩けメロス」というパロディ作品と重ね読みさせながら、メロスの人物像を多角化させる試みを行ったことがあるが、結構効果があった。小説だからという前に、教科書に載っているのだから、まじめモードで読まなければと思っている学習者の学習の構えを揺るがしていくのも意味あることだと思う。

敢えて音読させる

  名フレーズというものがある。この作品にもそういった名フレーズは数多く表現されている。声に出してみるとそれがよく分かる。非常に抽象的な言葉が多いのだが、たとえば、「真実とは決して空虚な妄想ではなかった」なんていう表現は声に出してみて初めて実感がわくのかも知れない。そう考えると、これだけ長い教材だからおろそかにしがちな音読をあえて場面を限定して行ってみることで名フレーズに触れさせる学習を大切にしたい。