王にしろメロスにしろ複数の人物が出てくるので人物像は自然と多角的に描かれている。他者から見たり客観的に語り手から見たメロスや王の姿と王やメロスの内面世界とのずれはこの教材を理解していく上で意識しておく必要があるだろう。メロスの正義感や真摯さがどこか可笑しく見えるのも語り手からの視点で描かれた姿とのずれである。メロス自身は至ってまじめである。王も王で同じ事がいえ、王の孤独は王にしか分からない。
多様な登場人物と語り手がそれぞれの目を通して人物を眺めているので、人物像が多角化する。その多角化された人物像にどのように向き合い理解するのか、これが中学校二年生の文学教材を読む力としては育成しておきたいポイントだ。だから、個々の記述を丁寧に読み込みながら多角的に描き出されている人物像を捉える学習は必要となる。それはそうなのだが先にも述べたように、課題解決型の学習を全体的にしくと、そういった学習場面を作り出しにくいのも現実だ。
そこで、最近踊る大捜査線などからいくつかのサイドストーリーが生まれたことなどをヒントにして、セリヌンティウスの話や王の話を作成させてみる学習を構想する。これによって、作品を読むだけではなかなか明確になりにくいセリヌンティウスから見たメロスの姿や王の姿が推論を伴って明らかになる。