教材について

 最初の小説教材なので、民話風の語りで構成されている物語分に近い教材である。しかし、あくまで三太郎の心理が詳細に描かれており、小説としての要素を十分に兼ね備えている。 三太郎の人物像もしっかりと作品の中で書き込まれているので、出来事を通して変化していく三太郎の姿を追うのも基本的な読みとりの学習となるだろう。人間は人間なりの暮らしや考え方をしており、三太郎は三太郎なりの考え方や生活をしているが、その差異が、この作品の展開を支えている。それを整理しつつ、三太郎の変化を読みとらせたい。

多様な人物像を視点によって立体化する

  人嫌いで気が弱い三太郎の人物像は、あくまで語り手の視点から語られる三太郎の姿である。そんな三太郎も、人間たちにはおそれられたりありがたがられたりしている。こうした他者の目を通した人格が、様々な関わりを通して本当の三太郎の人格として取り入れられていくプロセスが描かれている。  いうまでもなく三太郎の変化はこうした人間たちの視点から見た三太郎自身の姿を三太郎自身が自覚することによって引き起こされている。  

自分自身から見た自分の姿とは別に、まったく異なる他者から見た自分の姿があることに気がつくとき、それにどのように向き合っていくのかという自我の問題が生じてくる。  このような他者の目に映る自己の姿を意識することは、これから自分に向き合っていく一年生にとっては重要な自己認識の方法であろう。三太郎の変化が、気の弱い人嫌いな竜から、人のためになる神としての竜へ、という小学生のような読解に陥らず、あくまで三太郎の人格の広がりとして読みとらせることに配慮したい。

語ること

 この教材は、民話調の語りで記されているので音読させてみたいなあと思いつつも、単に音読させるだけでは何の意味も無いなあと思う。「語る」には相手がいるし、相手はこの話を知らないものに限るわけで、この話を一緒に学んでいるものに語っても今ひとつ実感がない。 相手を変えるか話を変えるか、どちらでもいいが、学習として構想しやすいのはクラスの中で学習を収めておく方であろう。つまりこの教材を起点にして「語り」を探させ、クラスのみんなを相手に語らせる音読を行わせるだろう。それで学習者同士の自己紹介などもかねてコミュニケーションをとらせながら、できれば楽しく音読し合う、語り合う空間を作ってみたいなあと考える。  

また「語り」のアンソロジーを録音したりすることも時間があれば考えてみたい。