教材について

  ゼブラという話は、翻訳小説らしい構成をしている。複数の人物の視点が交錯し、推移する中でストーリーが展開している。

  ①ゼブラの視点を通して映るウィルスンさんの人物像の変化
 ②ウィルスンさんとの交流を通して変化するゼブラの自己像
 ③アンドレアの視点を通して変化するゼブラの人物像
 ④ゼブラとの交流を通して変化するウィルスンさんの自己像

 注目したいのは、基本的に人物像は他者の視点から描かれることによってリアルな人物となるのであるが、この小説では、人物相互の交流の中でそれぞれの自己像が変化している。故に、この小説を理解するためには、登場人物それぞれの内面心理を捉えていかなければならない。

ゼブラの自己認識の変化を追う

 この話の展開の軸は、ゼブラの自己認識の変化である。彼が自己認識を変化させる原因がウィルスンさんとの交流にあるし、彼の視点から捉えられたウィルスンさん像の変化である。そういう意味では、これまでに学習者が読んできた小説の構造と少し作りが違う。ハイグレードな小説だと思う。
 ゆえにこれだけの量の小説を逐次丁寧に読解の授業はできないから、何か焦点化する課題を持たせなければならない。しかし、課題解決型の学習を組織し、学習者に課題を出させると、ベトナム戦争関係のことが大量に出てきてしまい、作品の読み深まり以前の問題で時間切れになってしまう。そこで、ポイントを上記の課題に絞り込んだ授業を行う事にした。

ベトナム戦争の話をいつ入れるのか

 ベトナム戦争のことについてある程度の知識がないと、この小説の理解はぐっと低いものになる。というか学習者自身が理解できずに終わる可能性が高い。しかし、問題なのはそういった情報をどこでどのような形で入れるかだろう。
 最初に入れることは大きな問題。なぜなら、この話がさっきから述べているように、ゼブラの視点から捉えたウィルスンさん像の変化を表面的な軸に置き、間接的にその変化に連動する形で、ゼブラ自身の自己像の変化が描かれているからだ。だとすると、この作品のストーリーを支えているのは、ゼブラの「ウィルスンさんっていったい何者?」という疑問と興味だからだ。導入の段階で、ベトナム戦争に関する情報を入れてしまうと、ゼブラに同化できない。これがいかに学習者の読みを阻害するかは言うまでもない。
 しかし、読み終えた後で調べ学習をすると、作品の主題にぐっと迫る事から回避してしまう。この話はウィルスンさんの話ではないのだ。あくまでゼブラの自己認識の変化に焦点化したい。授業の着地点はゼブラの成長にいきたいなあと強く思う。でないと、中学二年生の学習者に読ませる価値が半減するし、ベトナム戦争の悲惨さや戦争について考えさせるのならもっと別の教材を使う。
 とすると、読解の段階で最小限の情報を流すしかない・・・。イングリッシュ先生がもうちょっと丁寧に解説してくれていたら楽なのだが・・・。 で結局、イングリッシュ先生の所とヘリコプターの所とワシントンの記念碑のところで少しづつ情報を流すことにする。
 だけど残るものはある。例えば、ウィルスンさんは何をして生活しているのかとか、彼は殺人者かとかいろいろ出てくる。帰還兵の悲劇もたくさんはなしたい衝動に駆られるし、アメリカの兵役について(例えば、軍に入れば大学の奨学金が取れる、キャンパス内にそういう施設がある。)とか、日常生活の中に戦争や死が共存するアメリカの若者の心理とか・・・。  ぽろぽろと授業中にしゃべっているような気がするから、かなり情報を入れながら授業したように思うと反省してしまう。  でも、発展学習で学習者の中で興味があるものにはきちんと調べ学習の道筋をつけておく。もしくは、終わってからそれとなく関連書籍を学級文庫に入れておくとか。

ゼブラ像を見失わせない

 いろんな先生の授業をみていると、ゼブラ像が埋没してしまっている授業が多いことに気がつく。これは、ゼブラの自己認識の推移をきちんと追えずにストーリーを追ってしまうことに原因がある。この小説の書かれ方から言って普通に読むとゼブラの視点に同化しやすく、ウィルスンさんって何者?という疑問を一緒に追ってしまったり、二人の交流をずっと追って最後どうなるのかなあと考えたり、結局この話ってどういう意味があるのかなどという事を考えてしまったりして、ゼブラの自己認識の変化が追いにくい。
 だから、発問で誘導していくことにする。

 ①最初の場面でも、しっかりゼブラ像を押さえる。
 ②ゼブラの小鳥の話も印象的だ。小鳥は結局死んでしまう。小鳥はゼブラでと考えていくと、彼の失望感  の強さが浮かび上がってくる。
 ③ウィルスンさんに書いてもらった、シマウマの絵が走っているように見える。元気になりたいという潜  在的だが強い願いを持っている、ウィルスンさんに何か漠然と期待するところがある。
 ④アンドレアのデッサンが悲しそうな顔をしている。自己認識の変化。

 あとは省略。でもこのラインは非常に微妙だけれども重要なラインだと思う。

二人の交流

 左手とヘリコプターでイーブン。それぞれのトラウマを突きつけ合う形でしょう。お互いに殴り合って分かり合うみたいな感じもするけれど、実際に手が動くようになったり、するところがすごい話だと思う。でも中学生だったらこのロマンティシズムに酔える年齢だから大丈夫。
 むしろ教師の方がさめてしまうかもしれない。教師としてはウィルスンさんって教師としてすごいよねと思ったりするけれど、毎日一緒じゃないからできることと割り切って考えたりする。でも、生徒とイーブンの関係になっても良いところはもっとあるかもしれないと反省する。
 まあ、普通に読解の授業をしていく所だけれど、ヘリコプターとレオンの関係を少し考えさせておかないといけないかなあと思う。でもゼブラはウィルスンさんと手を握り合ったときに、「?→!」になったのかなあと少し懐疑的になるが、でも現実社会の人間関係の中で、これが限界の距離かもと思う。最終的には自分で立ち直るしかないし、誰かに手取り足取り立ち直らせてもらえるなんて考えさせるべきではない。そこがこの作品のリアルなところだろう。手紙の追伸は最後のパンチかな。

アンドレア

 アンドレアの存在はいろんな働きをしている。集約すると学習者がこれまで読んできた教材の中の視点人物的役割なので、良くできる子は気がついてくれそう。最後の一言もいじっておきたいところだけど、アンドレアらしくクールな友情を発揮している。でもアメリカっぽいせりふだなあとも思う。映画のラストで女優が言うようなせりふ。アメリカンジョークなんだろうかと思ってみたりもするがよく分からなかった。  でも、深刻な話だけに深刻な話にしないような気配りがポトクらしい書きっぷりかもしれない。でもこれはすごく大切なことで、この話から教訓を導き出すべきではないことを教えてくれる。幸不幸はあるけれども、私だけ特別不幸と思っている内は立ち直ることはできないものだから。最悪な授業はゼブラに同情してしまう生徒が出ることだと思っている。実際はアンドレアの方がもっと辛いことがあるかもしれないんだから。