教材について

 杉さんの作品はいくつも教材になっているが、人間社会での心の痛みや病みを何気ない自然の出来事が癒してくれる瞬間を描いたものが少なくない。この教材もそういったテーマを帯びている。  中学生の少年の日常を描いているので、学習者には共感できる読みやすい教材だ。男の子が主人公だが、女の子が読んでも共感できるくらい中性的な感じがする。間接的に描かれている心情描写を周囲の文脈や言葉の使われ方から推論する学習を仕掛けたいのだが、やや直接的な心情表現が多いので、心情描写の変化を追う学習にするかも知れない。

なげやりなイライラ感

  一言で言うと、読みやすいので、前半の少年の心情は、学習としては構想しにくい。言われてみれば、間接的な心情表現がないわけではないが、因果関係から推論できる内容なだけにかえって発問が作りにくいように思う。 しかし、この場面をとばしては読解の授業が出来なくなるので、扱うのだが、心情表現だけでは心許ない。そこで、「雨」の変化を捉えさせながら、情景描写と心情描写の関係などに目を向けさせる学習を構想する。  

 表を書かせ、そこに書き込みながら丁寧に読む。両者の相関性からいらいら感の質的な側面へ切り込んでいけたら幸いだが、学習者には難しすぎるかも知れない。

後半はじっくり読ませたい

 「自分は今、生まれて初めてにじを見たのではないか」と「初めて、自分のことを恵まれたものに感じた」の二カ所は特に扱いやすい。ここを読み解くためには、学習者の経験に基づいた推論を呼び込まなければならないが、ここまでが読みやすいので共感的に読んでいる学習者にそれを求めるのは簡単なことだろう。  少年が子どもを見て感じる回顧の感情や、時間の流れの中で自分の存在を確かめようとする感情などはしっかりとおさえながら、この部分の推論を活性化したい。当然友達との和解が描かれている最後の場面もこの部分の読みとりのために関係づけて生かしていきたい。

友達との和解

 最後の場面は、実はブラインドサイドがある。それは、少年はなぜ友達ににじを見せようとしたのかということだ。少年の視点から見た友達はどのようなものであったか、というよりも少年は友達のことやいざこざの事などをどのように理解して和解に及んだのかという点である。 個人的な推論だが、恐らく少年は、友人に自分との類似性を発見したのだと考える。つまり、友人も自分と同様に日々の生活の中でいらだち感をつのらせており、何かぼんやりと毎日所在なく生きているような、まさに自分と同じような心理状態にあるのではないかと考えたのではあるまいか、そして自分と同様に、にじを見ることで癒され、自己存在を「恵まれた」ものとして見直す機会を自分が与えることができると感じたのだろう