教材について

  始まりの単元を詩教材にすることは多い。教科書の最初に載っているかどうかではなく、学習者になじみやすいからだ。中学校の最初の国語、古文から始めて衝撃を与えてみたりすることもあるが、詩教材を扱って言葉の意味深さに接近させる経験を持たせたい。
 さて、工藤さんの「のはらうた」は小学校教材などでも用いられているし、学習者にもなじみ深いものである。いうまでもなく、動物の視点から見た自然世界を詩に表現している。日常的に見ているものであったり、何気なく通り過ぎているものが、動物や植物、昆虫などの視点によって斬新によみがえってくる。

言語活動1 詩の創作

 様々な生物なりの特徴や生活を考慮して、彼らの視点から見た自然世界を詩にしてみる。「様々な生物なりの特徴や生活を考慮する」事を意識させるために、教材の読解をプリントなどで進め、詩人が生物に仮託した視点を作り出していることを理解させる段階を前に置かないと、単なる詩の創作になってしまう。
 工藤さんほど優れた視点が創造できるかどうか不安に思うところもあるのだけれども、意外に中学生は斬新な視点を作り出してくる。創作自体が心許なければ、工藤さんの詩集の他の作品なども読ませたりする。  問題なのはその後どうするかで、朗読会を開くのであれば、音読指導の留意点などは教科書の手引きなどに書いているとおりだと思う。私なら、互いに読み合って意見を交流しながら詩作を高めていく方向性をとると思う。それは、クラスづくりとしての布石にもなるからだ。

言語活動2 アンソロジー作り

 工藤さんの作品が四つ並んでいるので、様々な詩人の詩を集めさせてアンソロジーを作成させる活動を仕掛けることも出来よう。これは、中学生の読書生活の中に是非詩集を読む習慣を形成したいと願うからだ。精神的に不安定な時期を迎える彼らの心の支えとして詩の言葉が役に立つと思う上に、なかなか言葉にしにくいことを言葉として敢えて表現する試みに触れることが何かと彼らの役に立つように思う。
 早熟な子などには、歌謡曲の歌詞などでアンソロジーを作成させることも考える。また、最初の単元で図書館指導をしておくということも大事なので、図書館の詩集もあらかじめチェックしておき、十分あるようなら図書館で調べ学習を進める。不十分なようなら、こちらでいくつも用意する。最初のうちに詩に興味を持つクラスにしておけば、今後毎授業の最初に一つずつ詩を紹介することも出来るし、学習者にそれを求めることも出来る。あとは、挿し絵や表紙などにも目を向けさせ、詩の世界をイメージ化することの重要性なども教えておきたい。

四つの詩について

 工藤さんの「のはらうた」は扱うのならば、基本的に複数の作品を扱う。その理由は、様々な生物それぞれの視点から描き出された自然世界が複数並んでいくことに意味があるからだ。そういう意味では、四つ挙げられていることには意味がある。つまり読解学習を仕掛けた際に、四つの連続性について考える機会を持ちたいということである。
 「うちゅう・いるか」は、宇宙の中の一存在としての自己、長い時間の中での一瞬の存在としての自己を思うときに感じる圧倒された感覚、「ちっぽけな」存在としての自己認識をどのように覆していくのかと言うことについて考えさせられる詩だ。「うちゅうのちゅうしんてん」という表現の意味深さに目を向けさせたい。
 「あしたこそ」は自分の力ではなくもっと大きな力によって動かされている存在がそれを否定的に捉えるのではなく、あくまで肯定的に将来を希望する詩だ。
 「おれはかまきり」は、自分から見た自分を信じつつも、他人の目に映る自分を少し気にしながら虚勢を張るこの時期の男の子のような詩だ。
「ひかる」もいい詩だと思う。小さな存在が自己主張する姿が健気でいい。

 共通していえることは、上でずっと述べてきた視点の問題より、内容から、自己存在と向き合うということにテーマを持っていく事も出来る。これはあくまで読解で行く場合だけれども。