教材について

 本来の読解と異なり、スピーチの媒材として、赤川次郎の作品をどのように扱うかがポイントになる。  教材に引っ張られすぎると自分のことが書きにくいので、どこで教材を読ませるのかが重要。  

 浅い読みからスピーチの学習に展開すると教材を読ませた効果が半減してしまうので、やはり先に教材をよく読ませるべきか。感想の交流をスピーチに置き換えて展開してみるのも一つの手だろうか。

価値基準の多様化を目指して

  対照的な人物像は固定されていて、物語文に近い感じを受ける。だから展開するストーリーも中一には十分読みこなせる。ただ知美の行為の解釈(価値判断)をめぐって、善-悪、正-誤ではとらえにくい多面性を持つところが小説的かな。だとすると、最後の場面も人間的な認識が・・・(大正時代の私小説風な感じか)

スピーチまでの展開とツボ

 一般的には、教材を読む→感想や気づきをメモ→自分のことを書く→スピーチによる交流→評価とくるのだろうが、作品が結構読み取る内容としては重いので展開上配慮がいる。  

作品に触れて→  作品世界と自分の生活を結びながら→  自分の経験を作品のフィルターでとらえ返し→  文章として表現し→  話してみる。  

 ということはポイントはスピーチの内容づくりに教材の読みとりをどこまで絡めてやるかということか。  オーソドックスな展開だと「親友」というキーワードが題名にもなっているので、親友とは何かという定義当たりを探らせて意識を高めておくのもいい。さらに教材の中での友情が、結構微妙な友情で、わざと転ぶのは友情かなあ等とあおってやるともっと深く考えられるだろう。(結論は出ないだろうけど・・・)麻子自身も理屈を超えたところで感動しているだけだし・・・。 これを理屈で詰めるきっかけにするには、もう少し情報がいるかなあ。 ということで、まっとうな内容のスピーチをさせようとするならば、「友情」を描いた小説か、リアルなエピソードを重ね読みさせる。短いものでスピーチの準備の時間を使って簡単に読ませ、刺激と情報を供給する。  

 教材に描かれている友情が非常に特殊な作為のあるものなので、他のエピソードをぶつけて学習者の認識をひろげてやらないと、相当書くのが難しいと思う。

知美の行為をめぐって

 ということで、スピーチはせずに折角おもしろそうな教材だから、ぴっちり読解で授業をしたりもする。これは、結構自分が現場にいたらやってしまいそう。中学生の国語は結構何でもかんでも理詰めで文字化する学習傾向が強い。分かったようなことを平気でいう中学生が、そのまま大学まできている場合が多いので、本当に何とかせなあかんなとおもっている。  大阪の方の大学にいる先輩が時々「人生はおもろいですなあ」という。私も先輩も結構苦労しているんだけど、理屈を超えて「おもろいでんなあ」といってみると少し胸がすく思いがする。 結局、麻子の認識はこういう認識であって理屈では分析できない。なぜ、うれしかったのかと問うたとしても答えはなしでなければならない。他に何もないといっているのだから間違いない。ともかくうれしかったのだ。  現実世界は理屈で割り切れないことの方が多い。だからといって無理に理屈で割り切ろうとすると非人間的になる。分かってはいるのだけれども、そういうグレーゾーンを授業で扱うのはちょっと怖い気がする。でもそれこそが現実世界への認識としてもっとも幅広く有効性を持っていることも否めない。  それゆえにこの作品は妙にリアルな感じがするし共感してしまう。悲しい人間の「さが」みたいなものを感じてしまう。  変に感傷的になりながらも、授業を考えなければならない。理屈ではないこと印分析的なメスを入れさせるのだから初めから答えは期待しないのだけれども、敢えて、価値観の多様性のようなもので収拾をつける。「善悪」「正誤」の価値基準では割り切れない知美の行為を、どのようにとらえるのかという問いは結構考えることができる。ただ「優しさ」や「美しさ」へ行くような気もするのだが、あえて「偽善的な自己満足」なんて答えも出てくればなあと思うが多分でないので、自分から出してみたりするかも

メモ指導と表現活動

 言語行為によって国語学力をとらえると、言語活動が規定しやすくなる。「読む」にも色々な「読む」があることは誰でも知っているのだけれども、色々って何?といわれると困る。  今回の学習活動での「読む」は「スピーチをするために読む」のであって、これだけ長い文章を丁寧に記憶として残しながら自分の経験と照らし合わせて文章を書いたり、話したりするわけだから、どこかで必要なことを視覚化する(文字化する)作業を入れなければならない、と判断できる生徒に育てたい。メモの技術なんてものは目もしながら自分なりに工夫していくものだけれど、メモが必要な作業かどうかを判断できる力は非常に重要だと言える。  そこで、ポイントになるのは「何をメモするか」ということだろう。