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昭和20年代は、「言語経験」というキーワードに基づいて国語学習が構想された時期である。昭和26年度改訂版『小学校学習指導要領 国語科編(試案)』の中には、「おもな言語経験にはどんなものがあるか」として4種21項目にわたる言語経験が列挙されている。 この概念を出発点として、国語科単元学習は構想され、経験単元や主題単元など、言語活動を経験として振り返る中でことばの学びを生み出そうとする試みが進められた。 こういった流れに対して、時枝誠記は、「国語教育は言語経験を与えることではなく、言語能力を身につけさせることである」として能力主義の立場から反論した。この反論がきっかけとなり、国語教育は経験主義か能力主義かという論争が起こる。
学習活動が学習経験に変化するのは、学習者自身の振り返りと意味づけ、価値付けのプロセスがあるからである。「手紙を書こう」という活動もただ活動をさせただけでは、学習経験とはならない。 この点が、単なる言語経験と国語学習の中での言語経験との違いであろう。学習内容としてこの言語経験を位置づけるかどうかという問題よりもむしろ、言語経験に至るまでの学習のプロセスを重要視するべきではないだろうか。 「活動を通して学ぶ」ことが重視されている現在、実は「言語活動」を「言語経験」に変える教師の働きかけが重要となってきている。
言語能力を育成するプロセスに、学習者の実際の言語活動を置く意義と意味は、実の場における言語運用力の育成だけではない。実際に活動することを通して学習者は様々なことを学んでいる。 教師は、そういった学習者たちの活動を「導き(ファシリテーターとして)」、「支え(コーチとして)、「位置づける(インタープリターとして)」仕事が課されている。 言語活動を学習のプロセスに位置づける意味については以下の通りである。 言語活動を中心にした学習を組織する場合、 本当の学びは言語活動を学習者自身が振り返る所を起点としている。
@言語活動そのものに対する情意的な意識の形成、 「おもしろかった」とか「楽しかった」「役に立 った」といった実感を持つことが、学習者の言語生活の中に言語活動をきちんと位置づける効果を もたらす。
A活動を通して発見したことや、振り返りのなかで気づいたことが、その後の学習で方法として位置 づけられ、目的や状況と結びつけられた形で学習することができる。
振り返りシートやポートフォリオなどを活用することで、自らが活動を通して、また降り返りを通して何を学んだか、それがどういうことに役立つか、どんな効果があるかを語らせることが重要であろう。そういう学習者の語りに対して教師が評価を加えることができないかと考えている。
石井庄司
鳥居次好
言語教育における理性主義と経験主義―神経言語学の示唆するもの
黒田 亘
森田 伸子
吉村 公宏
松永 澄夫
クリストファー フックウェイ