生きる力を発揮させる国語教育  

                          小川雅子 牧野出版  2001                 

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概要

 本書は、学習者の言語生活の実態を例にとりながら、国語学習における問題点を「内言」の深化という観点から解決しようとする試みを示したものである。  

 氏は本書を、西尾実の考えをに基づきながら、「問題と感じていることを言語生活創造の要因と考えて止揚していく自己教育を成立させる国語教育」を具体化したものであるとする。確かに、本書で提示されている数々の試みは、学習者の生活現実の問題点から出発し、自らに問いかけ、教師と対話しながら、その認識や思考の深化に至る「学び」のプロセスとなっている。大学をも含めた教育現場において、日常的に遭遇する学習者のつまづきや苦悩に対して、いかに教師が寄り添い、国語の学びの中においてそのつまづきや苦悩を解消しうるのかということが如実に記されている。  

 本書の題名にも示されている「生きる力」とは何か?という問題は、氏も指摘するように、学校での学習活動と日常生活との乖離が問題視されていることである。両者を効果的につなぐ学習方法や学習内容がそれぞれの教科で追求されている中で、国語科としてそのつなぎ目をどこに見るのかという問題は非常に重要な問題である。この問題に対して、氏は、「国語科の学習が個人の内言を無視して、言語生活と乖離した結果、社会的に無責任な言語活動の能力を強化してきた(P43)」と指摘し、「内言領域」の育成の重要性を提唱している。  具体的には、第二章では、「内言領域における認識の機能」に着目し、言語生活を基盤にした目標意識を持つことで、学習目標として学習者の内言領域を位置づけることの必要性を挙げている。また、第三章では、西尾実の研究の歩みに添いながら、学習者に古典作品の不易性に向き合わせることで、自己の内在的価値観の変革に迫る試みを提示している。  

 また、第四章では、学習者の内言領域での言語活動を捉えるため、「教師−学習者」の関係に着目し、学習者の反応と認識のレベルを軸にした洞察の視点を提示している。教師が、学習者の内的言語活動をどう捉えるのかという問題の解決策が提示されている。  

 これに対して、五、六章では表現領域の指導に関する提案が、七章では理解領域の指導に関する提案がそれぞれなされているが、どれも、学習者自身が自らの言語生活を基盤とし、主体的に学ぶことを通して自らの内なる「内言領域」をよりよいものにしていくための方策が掲げられているといえる。  

 国語の教室を営んでいると、ふと「表面的なことばの使い手として学習者を育てているのではないか」、と疑問を覚えることがある。氏も述べているように、話形の指導に代表される「型」や技術の指導に重点を置く授業を重ねていると、「巧みなことばの使い手」は育つかもしれないが、そこに全く心がなかったとしたら、我々は何のためにことばを使うのかということすら見えなくなった学習者を育てているのかもしれない。こうしたことを考えるとき、じっくりと読んでみたい著作である。

 

 

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