多鹿秀継 北大路書房 1999
第一章 序論
第二章 カリキュラムと授業の理解
第三章 授業過程の理解
第四章 国語の授業過程の理解
第五章 算数・数学の授業過程の理解
第六章 理科の授業過程の理解
第七章 授業形態の理解
第八章 授業と個人差の理解
第九章 授業とテクノロジーの理解
第十章 授業における測定と評価の理解
授業研究に参加するたびに、そろそろ目標や評価をバラバラに語り合うのはよした方がいいと思う。いうまでもなく授業は一連のルートを教師と子供がたどる。たどり方もたどるルートも子供によって様々なのだけれども、教師のもくろんだルートも結構顕在化して授業の中にあるわけで、そのことだけを断片的にとらえて議論するのは、実際の授業をみんなで分析しようという場合は適していない。結局、授業者個人の問題に還元されてしまって、みんなの中に落ちて行きにくいからだ。
同じ学校で、子供たちを育てる教師集団が、ある一人の授業の実際を見合いながら、そこから多くのことを学ぶことが可能になるとしたら、本書にあるような「授業過程」に関する理解をある程度共有しながらでなければならない。
実際の授業をどのように見るのか、という問題は「どこを」という観点の問題に加えて、「どのように」という見方の問題がある。大学生には基本的にその二つのことを教える。それは実際に授業をした経験の乏しい人が授業をとらえるために考えなければならない観点だからだ。しかし、実践を進めている人たちにはそれだけでは足りない。
「いつ」という問題と順序についての意識を持って授業を見ていかなければならないからだ。現象としての授業には様々な要素が絡み合っているということは誰しもが理解していることだが、もう一つやっかいなこととして、時間の流れの中で推移するものであるという点が挙げられる。
認知科学は人間の意識を対象とした学問であるが故に、当然この「時間の推移」という観点も明確に有している。様々なプロセスによって構成されている授業という現象を読み解くためのキーが本書にはあると思う。