1920年2月21日東京生まれの昭和から平成にかけての詩人。4歳の時に生母と死別、以後18歳までに3人の義母を持つ。また3人の妹、2人の弟を持つが、死別や離別を経験する。自分で稼いだ金で文学を勉強してみたいという考えから高等小学校卒業後、日本興業銀行に就職、55歳の定年まで勤務した。銀行の労働組合の機関誌などに詩を発表し続け、1938年、女性の投稿仲間と同人誌「断層」を創刊した。敗戦後は、興業銀行の組合活動にも参加、そのかたわら、庶民生活を視点におきながら反戦の思いをしたためた詩を発表、1959年、詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」が、一躍注目される。
39歳の時、椎間板ヘルニアの快気祝いとして配った1968年の第2詩集『表札など』で、 H氏賞を、1971年には、総合詩集『石垣りん詩集』で田村俊子賞を、さらに1979年に『略歴』で地球賞を受賞した。また、テレビのドキュメンタリー番組で四日市公害を告発する詩を発表して話題にもなった。
2004年12月26日午前5時35分、東京都杉並区内の病院において84歳で旅立った。葬儀・告別式は本人の遺志で行われず、後日、お別れ会が開かれた。
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